祈りの幕が降りる時を観て気になること
原作はミステリー作家の東野圭吾、
※ネタバレを含みます
個人的にむちゃくちゃ気になった事がある。
・松嶋菜々子演じる浅居はあんなに憎い母親に対して何故あれだけの仕打ちで済ませたのか
です。
浅居の父親は彼女のために他人になりすまして最愛の娘と離れ離れで生活する苦渋の選択をする。
全ては娘に幸せになって欲しいがゆえの事。
人目を忍んでしか会うことが出来ない父親と娘。
父親は自分の幸せは全て捨てて娘のため生きていくだけ。
最終的に父親は自死を選ぶ。
浅居が一番愛していたのは父親だろうし、この悲惨な状況を作った母親のことは1番憎んでいたんじゃないかと思う。
だけど、浅居は母親にした事はそれだけでいいの?と驚く事だった
映画のセリフを借りると「あんたにはお父ちゃんが生きた地獄より、もっと地獄にいってもらわなあかん」
と。
彼女なりの地獄を、与えたのだろうけど、私はこの人って…本当に母親憎んでるのか?
と。
うーん。となってしまった
例えば…どこかに監禁して毎日気が済むまで暴力をふるうでもいいし、その母親が大事にしていたものを無茶苦茶に壊し続けてやるとか、父親が体験せざるを得なかったシチュエーションを母親に体験させる、とか。
例えばオリエンタル急行殺人事件。
犯人に恨みがある人間が同じ電車に集まってナイフで1突きずつメッタ刺しにしていく話。
まぁ、残酷だけど、人間の感情は底知れないし何かとても恐ろしい事が出来てしまうものだろうからそういう事もあるだろうなと
ギリシャ神話でも罰として毎日ワシに内蔵つつかれる神様がいたし
日本人て、長いこと恨みの感情を持てない民族なのかな?と思った。
水に流そう、という表現もあるし。
忠臣蔵も実際のところは復讐が半分めんどくさくなってたという話もあるとか。
どうなんだろう…。
復讐に燃えなかったキャラにしたのは、父親の「幸せになって欲しい」の気持ちを浅居に写して、憎しみだけを反芻する人生にはしない、少しだけでも希望を残したい、そんな思いが著者にあったのかな。
まぁしんどい映画でした。
観てたら普通に息が浅くなってしんどくなってしまいました。笑。
阿部寛さん、日本人と思えない高身長と険しい顔付きでハードボイルドが過ぎましたね…。