25歳超えて文字通りの言葉しか言えない男はマジつまらん
傷つくのは、生きてる証拠だよ。
傷つくってことはチャレンジしたってことだよ。
こんなことば何回か聞いたことがある。
でも、いい歳でこのセリフを出してくる人がいると「ん?」となる。
居心地の悪さとか違和感を感じる。
だいたいドヤ顔で言われることが多い。
「この言葉を出しておけば自分は傷つきやすい人に考慮できる人間ということをアピールできたはず!
さらに相手のことも傷つけず、優しく見守ってあげれてる自分優しい!」
という浅い下心も見え隠れするのでがっかり。
自分と、問題は同じではない。
なのに、その問題なしの裸の自分などは怖くて、生きられない。
無数にある中から自分が選びとっている思考、感情、目の前の現実、長年使いこんで親しんできたパターン、
それらと仲良くしているのはあなたなのに。
お膳立てしてるのは。
いざ自由になるのが怖いのかな?
自由になれない言い訳に、問題に浸りきっている自分を苦しそうにアピールする人に対して前は助けてあげないと。と強く思っていたんだけど、結局ひとは、自分のフィルターで世界を観てるので、まわりがあーだこーだ口を出したり手をひっぱっても無意味で。
自分でしか救われないんだなと、腑に落ちることがあって。
Twitterも、助けてあげないと!と感じる人ばかりで、Twitterを見てる時はいつもいつも他人のことばかりをかんがえてた
どうしたらいいんだろう、どうすればこの人の人生は根本から良くなる?そんなことばかり。
Twitterでは皮膚の上のほうだけかするくらいの重さの、大丈夫?とか、気にしないで、とか、そんな軽々しい言葉が沢山で、こんな文字を信じる人ばかりなら世の中終わってると感じた。
身を案じてくれたその人は次の瞬間、画面の向こうでエゴイスティックに自分の欲望を満たしてるのに。
大丈夫?のテーマ以外にも、可愛いだのすごいだのも同じく。
考えすぎて辛くなって、吐き気が止まらなくて、Twitterは消した。
人間が、心臓や脳みそを隠して生きているのは理由があるんだってRADWIMPSの歌詞にあるの。
そんなものは人に見せるものじゃないからね。
だから皮膚の下に隠れているの。
Twitterは人間の汚くてえぐい部分が直接に見えすぎてつらい。
そのうち、落ち着いたら再開したい気もあるけど、あのドロドロしたものに突っ込む気力はまだ当分わかない。
そこから何ヶ月か自分を整える為に色んなことを考えたり本を読んだりして、、、
新しく好きな本だったりブログを見つけて少し気持ちが楽にもてる時間が増えてきたところ。
私みたいなHSPは、目にするものも耳にいれるものもきちんと選ばないと結局苦しいのは自分になるから…。
ただポジティブなクリアなものだけ入れるってわけでもなくて、そこはまた違う話しになるので…また今度。
最近は潜在意識についての本やブログ、20歳くらいの頃に読んでたヒューレン博士のホ・オポノポノを読み返したり、セドナメソッドを読むのがルーティンになってる。
本を読むのが大好きだけど、あえてこの言葉を引用しておく
「読書とは他人にものを考えてもらうことである。一日を多読に費やす勤勉な人間はしだいに自分でものを考える力を失って行く。」
知識をつっこむ事も大事だけど、自分が生み出した感じ取る力をもって世界やモノを見れてるかどうか?。だ